琉球武将 ショウハシ
600年前に3つの大きな勢力が沖縄を覆っていましたが、その外側の人間である尚巴志が最終的に沖縄本島を一つにまとめていきます。これはとてつもなく大きなニュースでした。
尚巴志は今の南城市佐敷という地域出身で、決して大きくない佐敷上城を居城として、小さな世界で生活していました。しかし、現代まで残る言い伝えでは「赤ちゃんの時に犬と鳥に育てられた」「小さい身体であったのに、すごい力持ちだった」など、王になるべくしてなった人物であったかのよう言われています。
佐敷の長となった尚巴志はまず、同じ南城市にある島添大里城を攻め落とします。南山の2つあるうちの一つの拠点でした。そこを足がかりに間も無く、沖縄一の勢力である中山を攻め落とし、北山、南山、つまり沖縄本島のすべてを手中に入れます。この進撃は20余年で完成し、首里城を主拠点として、後に「第一尚氏王朝」とよばれる国を治めることとなります。
尚巴志がなぜここまで力を持ち、統一まで行き着いたのか、納得できる話を聞いたことがありません。尚巴志の拠点近くに場天港があり、貿易が行われていましたが、港としては中山や北山の港より規模が小さく、尚巴志だけが力をつける理由にはなっていません。言い伝えとして、尚巴志の戦いの様子が残っています。それは策士であるということです。最初の大きな戦である島添大里城との戦では、城主がいないときに闇討ちをしたということが伝えられています。北山の今帰仁城を攻めたときは、城主の攀安知の全幅の信頼を得た家臣である本部(もとぶ)と取引をし、攀安知を裏切るように仕向けたとあります。どのような取引であったのかは伝えられていないのが、ブラックな感じですが、つまり知将 尚巴志というイメージがあるようです。
(以下、フィクション)
沖縄を統一した初めての王となった彼は、家族の支えがあってのことである。父の妹は沖縄でも名高い神人で「バテンノロ」と呼ばれていた。時代の変化を察知していたバテンノロは佐敷の小さな村で一族が静かに過ごしていくことができないことを知っていた。彼女は兄であるシショウ(ショウハシの父)を支え、佐敷の安定を霊的な力により支えてきた。しかし、その子ショウハシはその安定を覆すことでしか、安定を手に入れられないと考え、ショウハシの数残る言い伝えを流布し、ショウハシこそ、王になるべき人物であることを世間に印象付けた。実務で支えたのはショウハシの妹で後に2代目バテンノロとなるサシキノロである。気弱な兄を武力や内部の士気を高めることで支えた。
バテンノロとサシキノロにより、初めての大戦である島添大里城での戦いは決行され、その名誉はショウハシにあることを世間に広めた。本意でなくとも、世間の賞賛を浴びるショウハシは有頂天になった。そして、中山の民衆からの支援を求める声であった。戦という幻想とは違う人間ブネイとの決死の戦いに打ちひしがれながら、戦では勝利を収めることができた。その後の北山ハンアンチとの戦い、そして南山との戦い。それぞれの戦から、ショウハシは国王として民衆の信を得ながら、成長していく。
沖縄には「オナリ信仰」というものがあり、妹は兄を支えるということが基本的な考え方としてあり、それが霊的力に昇華され、世でがんばる男を霊的な力によって女が支えるというものです。沖縄観光で「斎場御嶽」に来られた人は「聞得大君」という言葉を聞いたことがるかと思いますが、この役職はまさにオナリ信仰として、国王を支えるというものです。
尚巴志のおばさんも妹も、「ノロ(祝女)」として、公の神事をまとめる役職についています。まさに彼女らはまさに「オナリ」なのです。その力が尚巴志を後押しするものとなったのではないというのが、ここでの物語を支える考えになります。
戦国の世の勝者である尚巴志には、悲壮感がなく、歴史に残る人物となるのですが、みんなで共有できるフィクションを組み立てていくためには、生まれた時から違う人間だったというより、敵味方ともにいろんな人たちに支えられながら成長した「成長譚」の側面を出した方がよいのかなあと思っています。
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